前の症例へ
2008年、6月。
電話が鳴った。
出ると、若い男の声。
ー今日3時に予約をしている浅沼といいますが、急に気持ちが悪くなって、いま、『イシガミイ公園』という駅で休んでいます。
「ああ、石神井(シャクジイ)公園ね。大丈夫?」
ー冷や汗でてます
「隣の駅だから、落ち着いたら来てね」
ーはい。すみません
約15分遅れで、すらりとした青年が来室してきた。
身長180センチぐらい。
細身だが、肩幅が広くガッチリしている。
足取りがふらふらして、顔をしかめている。
しかめてなければ、かなり印象の良い男だろう。
なぜなら以前小泉今日子と噂になったアイドルの男と顔が似ていたから。
「すみません、遅れまして」
礼儀正しい。
礼儀正しくて、イケメンなので、オーストラリアの女性に日本人の好感度があがっているかもしれない。
「痛いところ申し訳ないけど、記入してもらえるかな?」
「はい」
私は彼に施術申込書を手渡した。
書き終えたようだ。
浅沼京介 24歳
申込書の住所を記入する欄に目を通すと、なんと、山形県と書かれてある。
「山形県から来たの?」
ちょっと驚いて声をかけると、
「実はオーストラリアからなんです」
という返事が。
きのうの夕方に電話があり、その足で来たのだろうか。
詳しく聞くと浅沼さんは、現在オーストラリアの大学院生で、休みを利用して帰国してきたらしい。
そして今、横浜の友達の家に泊まっているのだが、帰国している飛行機のなかで急に腰が痛くなり、動けなくなったとのこと。
「横浜の友人は、ここ(大泉学園)出身なんですが、お母さんが良くなったからと紹介されて、今日電話したんです」
すぐに施術にとりかかった。
「ギックリ腰は腰に炎症を起こしているので、長い時間施術すると、かえってひどくなる場合があります。だいたい20分ぐらいで終ります」
「わかりました」
「ちょっと立ってみて」
「はい」
まずは検査から。
「こんなふうになったのは、はじめて?」
「はい」
よかった、と私は心のなかで胸をなでおろした。
年に何回もギックリ腰を起こしていると、何回もかかるが、
初めてだと、1~2度で回復する確率が高くなる。
脳が、悪い状態よりも、良い状態を覚えている時間が長いから。
次に両足の曲がりを調べる。
「うわぁっ」
「右の腰に激痛が走るでしょ?」
「はい」
右足が曲がりにくい。
右側に体重が乗っているようだ。
「そうでしょう。今度は上を向いて寝てもらえるかな?」
この当時は、畳の上に、ベッドマットを敷いていた。
うなり声をあげて、彼は上になった。
手の長さの検査。
左手が伸びにくくなっている。
左の背中がはっているようだ。
「左の腕が苦しいです」
「そうでしょう」
とだけ、私はいった。
触ると、確かに緊張しているが、筋肉の弾力はある。
だいたい2回ぐらいで良くなりそうである。
施術中、浅沼君は、何度も凄いを連発していた。
「先生、体って、こんなに簡単に変わるものなんですか!?」
「うん。でもこれは、浅沼君の体がいいからなんだ」
これは謙遜ではなく、事実である。
一通り施術が終わり、再検査。
まずは手の長さ。
「あれ!? 左の肩が楽になってる」
私は、バランスがとれたので左肩に無理がかからなかったと伝えた。
続いて、両足の曲がりの検査。
「あれ? 右の腰が痛くないです」
「バランスがとれたからね」
「すごいですね!」
「凄いのは、浅沼君の体だよ」
私は、痛みをとる施術はしていません。
あくまでバランスをとる、動きにくいのを動きやすくする、脳の命令をよくする、
これしかやっていません。
痛みをとるのは、クライアントさんの仕事だと考えています。
その場で痛みが消えてなくなったのは、浅沼君のお体が素晴らしいとしか言いようがありません。
「じゃあ、立ってもらえる?」
「はい」
「ら、楽ですねぇ。不思議だ……」
なにか抜かれた表情で、浅沼君がいった。
その後、腰痛体操と体の使い方を指導し、2回でほとんどバランスがとれていたので、終了となった。
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2011年•2月
電話が鳴った。
ー以前お世話になった浅沼といいますが
「おお、浅沼君」
ーあれ? 先生、覚えていたんですか
「もちろん」
今のところ、痛くて隣の駅で下車して休んでいたのは、
浅沼君しかいないので。
近況を聞くと、シンガポールの金融機関に就職することが決まり、
二度と腰痛が起こらないようにと、また施術を受けたいそうだ。
「あれから体操やってるの?」
ーはい、ほとんど毎日やっています
来室した日、浅沼君はベッドが置かれいて、驚いていた。
「内装も変わりましたね」
「施術内容はもっと変わったよ」
施術を始めた。
「おお、……先生、さすがですね」
あれから、いきなり体を変える施術に変えていた。
「毎日進化しているからね」
真面目に体操をしているそうなので、ほとんど大丈夫な体だった。
新しい全身を整える体操を教えた。
「帰国したら、また来ます」
そういって、浅沼君はシンガポールに旅立っていった。