なつかしさと、これからへ・1

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こんにちは!
本格整体院高久 大泉学園店の高久です。

今年の5月の休診日に、立川市へいく用事がありました。
仕事が終わるとすぐ帰宅するので、11月にアップすることになりました(笑)

さて、その日は、時間があったので、となり駅の日野駅にいくことにしました。

プロフィールを読んでいただいている方にはご存知だとは思いますが、
私が20〜21歳のとき、医療系専門学校の学費を貯めるため、
日野自動車で季節労働者として働いていました。

あれからもう、26年も経つのかと、懐かしさと、時の経過の早さを痛感します。

さあ、JR日野駅に着きました。

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このホームからの眺めが懐かしい。
電車から降りると、一気に26年前の自分に戻ったような気がします。

26年前、21歳の高久青年は、ここからひとりで、あるいは寮の仲間と新宿や渋谷に出かけたのでした。

当時、家出の途中なのでしょうか、よく10代の女性から「渋谷にいくにはどうやっていけばいいんですか?」と複数の人に聞かれました。
日野駅は、若いわけあり女性の途中駅なのかも、と思ったりしたものです。

当時新宿の東口には、いつも女性バンドグループ、プリンセスプリンセスの「世界で一番熱い夏」が流れていました。

実は今でも、この曲が流れると、この日野自動車で働いていた時代を瞬時に思い出します。

懐かしさにひたりながら、さっそく、駅を背に、日野自動車に向かって歩きます。

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確か駅を背にして左に歩いていくのです。

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ずいぶん道が良くなっている気がします。
年数分整備されているのでしょう。

坂道をずんずん歩いていきます。

あれ?
ここにラーメン屋さんができている。

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前、ここはステーキハウスだったような気がします。

さらに歩いていくと右手に外車屋さん。

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ここは、もう26年以上続いているということになります。
お客様からの信頼が厚いお店なのでしょう。

さらに歩いていくと、T字路になります。

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ここを右です。

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ずっと坂道が続きます。
5月とはいえ、夏日を思わせる陽気でしたから、汗がにじんできました。

私は寮生活でしたが、電車通勤の方々は、10分ほどの坂道を歩いて通っていたということです。
きっとよい運動になっていたことでしょう。

左手に、ファミリーマートが見えてきました。
日野自動車で働いていた当時夜勤もやっていたので、利用していたのです。

なにを買っていたのかとふと思いましたが、浮かんできません。
たぶんアイスクリームだったのではと思います(笑)

あ、思い出しました。

推理小説を買った記憶があります。

島田荘司さんの『羽衣伝説の記憶』です。
ちょっと読んだら、すごい迫力の文章で、
一気に引き込まれていきました。

それをきっかけに島田荘司さんの作品を龍牙邸事件までほとんど読みました。

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ここも、26年以上続いていたことになります。

さらに歩くと、見えてきましたね。

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ちょっと逆光で見えづらいのですが、左に赤い四角の日野自動車の看板が見えてきました。

(つづく)