治療室高久・代表 高久尚登のプロフィール

こんにちは。治療室高久・代表の高久尚登(たかくひさと)です。
当施術院のホームページをご覧いただきありがとうございます!

症状の原因をあなたと一緒に探しながら、治癒への道のりを全力でサポートさせていただきます。
当整体院のホームページをご覧になり、健康に対する考えに共感をいただいた方に、誠心誠意を持って施術をさせていただきます。
限られた文面ではありますが、正直に自分自身について書いてみたいと思います。

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高久尚登(たかくひさと)
1969年・秋田県湯沢市生まれ
身長180㎝
体重72.5kg

・高久身体バランスシステム(TSBS)考案
・按摩マッサージ指圧師免許第127329号(国家資格)
・トータル臨床研究会会員・第30回講師
・EFTプラクティショナー
・JHA日本施術協会会員
・自律身体療法プラクテショナー課程修了
・日本プロポーション矯正学院プロコース課程修了
・日本整体協会主催内蔵セミナー修了
・日本整体協会主催NSTセミナーアドバンスコース修了
・BRM療法ベーシックコース修了
・筋膜グリッピング修了
・TRKエネルギーセミナー修了
・癒道操体法基礎コース修了

特に健康や生き方に関して大きな影響を受けた本

整体法の基礎 (1977年)
野口 晴哉先生

風邪の効用 (ちくま文庫)
野口 晴哉先生

「半断食」健康法
石原 結實先生

治療室高久 代表高久尚登の経歴

1969年秋田県湯沢市にタバコ屋と農業を営む両親の間に2人姉弟の長男として誕生。
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小学低学年のころ、なぜ駆けっこで速い人と遅い人がいるのか興味がわきました。
運動会のとき足が速いと注目されますからそれが狙いだったんです。

同時に、なぜか按摩や鍼施術、整体など東洋医学にとても興味がありました。

不思議ですが、そのような職業の人が子供心にもかっこ良くみえたのです。
そして、ツボなどを刺激すれば肉体が改造され、走るのが早くなるのではと思い、小学3年のとき、お年玉で街の書店からツボで体の不調を治す本を購入しました。
父が5人兄弟、母は7人兄弟でしたので、すぐに買えました。

その本はまだ手元にあります。

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親にやってあげると喜ばれるのがうれしくて、拍車がかかりました。
ツボは強く押すと痛いところですが、小学生でまだ力がなかったので、思い切り押してもちょうどいい刺激だったようです。

自分にも押していろいろ試しました。結果、走るのは速くなりませんでしたが、体が軽くなったりして面白いのです。

ただ、小学校の高学年のとき、長い間自転車にのっていたりマラソンなどをすると左の足の付け根が苦しくなり、足が上がらなくなるのだけは治らず、不思議な思いがしました。
(今でしたら左の骨盤が開いているので、左足に重心がいつもかかっていて、症状がでているのがわかります。)

中学のときは体育の先生にこのことを話しましたら左足の筋肉に疲れがたまっているからだといわれ、さらにマッサージの本を買ったりストレッチの本を買ったりして自分でやってみました。

さて、運命のときがやってきます。

高校3年生だった当時の私は、身長は180センチで体重は53キロしかありませんでした。
食べても食べても太らず、何か病気なのかと心配したものです。
それにすぐにおなかを下します。

腸が弱いのだと思い、いろいろな健康本を読んでみると、共通しているのが太ももの筋肉を鍛えると内臓が丈夫になるということでした。
確かに太ももに胃腸のツボがたくさんあります。

そこで、プロレスラーがやる足の屈伸運動(ヒンズースクワット)を1日100回するようにしました。だんだん回数も伸びて、300回くらいできるようになりました。
それでもおなかが下るのは治りません。

より鍛えるために、お年玉とアルバイトで貯めたお金で、バーベルのセットを買いました。当時ガリガリでしたので、ガッチリした体になりたいという願望もありました。

正しい指導者もいなく、本を読んで行ったのですが、鈍い腰痛がおこるようになったのです。
それでもそれを乗り越えれば丈夫になると考え、無理に続けたところ、とうとうギックリ腰になってしまったのです。

朝痛くて動けないし、授業中イスに座っているだけでも左の腰とその近くの背中が痛みます。
さらに下を向いていると、首の右側に先が丸く尖った石を強く当てられているようにコリがでてかゆいような変な痛みが走ります。

整形外科に行くと、椎間板ヘルニアという診断をされました。
もう座っているだけで痛いのです。黙って座れませんでした。

2週間毎日通ったのですが、ちっとも良くなりません。

本を読んでツボ等を押しても効きません。

(これからどうなるんだろう。こういうのがずっと続くのだろうか…)
ものすごい不安に襲われました。

動きも鈍くて、体を右にひねることはできませんでした。

しかし不思議なことに重い物は持てるのです。

それから、マッサージ、鍼灸など様々なところへ通いました。
ちっとも治りません。

高校を卒業して、地元企業に就職しましたが、まるで仕事になりませんでした。
動きが鈍いので、よく怒られていました。

今度は近県の山形県にいい先生がいるということで、週1回で一ヶ月通いましたが、これもよくなりません。

さらに健康雑誌を読んで、東京の整体施術院へ行きました。

これがその場で良くなったのには驚きました。

(整体ってすごいな)

と感激しました。

相当酷いので、毎週通ってください、と言われましたが、毎週秋田〜東京間は経済的に行けませんので、断念しました。

2日ほど良い状態が続きましたが、また元に戻ってしまいました。

が、ここまで体がスッキリしたことがなかったので、整体を学びたいと強く思いました。

小学生のころから独学でやって今だに飽きずに続いているので、これは自分に合う職業なのではと感じたのです。

そこで、姉の東京の友人で、今でも有名な整体師と仲の良い人がいて、話をしてみると、

『整体は無資格者でもやれるが、将来のことを考えて国家資格を取っておいた方がいい。指圧か鍼灸か柔道整復のいずれかの免許をとった方がいい。ただ免許とるだけでは人は治せないから、どこか有名な先生に弟子入りか働いて多くのクライアントさんをみるのが一番いい』

と言われました。

この先生には今でも感謝しています。
※上京した際、お礼を申し上げる予定でしたが、姉の友人に聞いても音信不通になったのは残念です。横山みどり先生、もしこの文章を読まれたら、ご一報いただければと思います。

さて、両親に施術の仕事をしたいので、今の仕事を辞めるというと、反対したので、こっそり辞表を提出しました。

国家資格をとるため専門学校に行かなくてはならず、学費捻出のため、期間従業員として東京の日野市にある、日野自動車で働きました。20歳のときです。

当時はバブル景気の末期でしたが、夏には去年の実績を越えたという時代です。
給料の額も田舎で働いていた3倍もあり、今まで手にしたことがない額でした。

それを5万円だけ自分の生活費にして、他はすべて貯金しました。

そして、3年間の学費が貯まったところで、もう一度両親に経済的なことは大丈夫だから、東京にいくというと、泣かれました。

私の田舎は過疎化が進んでいます。
子ども達が県外に就職して、家には老夫婦だけ、という家庭が多いです。
そしてどちらかが亡くなり、一人になった人は養老院に入居するか一人暮らしをする、やがて亡くなるとその家は消滅する、そのような家が多いのです。

姉も県外就職していましたので、そのことを両親は心配したのでしょう。
散々考えて、田舎に残ることにしました。

ところが、どの仕事をしても面白くありません。

職業を転々としました。

相変わらず健康雑誌やヨガの本を読んで他人にやったり、自分にやったりしていました。

(やはり施術の仕事が好きなんだ)

しかし相変わらず腰は痛いまま。

慢性化していました。

相変わらず体を右にひねることはできませんし、座っていると左の腰と背中、右の首筋に強烈なコリを感じます。

(ああ、一生このままつきあっていくしかないな)

と半分あきらめの気分で過ごしていました。

そこへ、近くで整体院を開業した人がいました。

私の父方の親戚の人の娘さんの旦那さんが開業したようです。
ダメもとで行ってみました。

佐々木佳寿という先生です。

施術時間は15分くらいです。

今日はこれでいいと言われました。
自分で体がほんのちょっと変わったことがわかりました。
これまで実費施術で1時間揉まれて、全然体が変わらなかった施術を受けたことが何度もあるので、まだマシかと思いました。

明日また来てくださいと言われ、素直に従いました。

2回目、「よし、ここまで回復していれば大丈夫だ」と言われ、嬉しかったのを覚えています。
2回目もそんなに変わった気がしませんでした。

3回目はあさって来てください、と言われ、3回目の施術のときは、ようやく私にもわかりました。体が軽いのです。腰が楽です。

(…これは治りそうだ)

と直感しました。

週に3回通うのを1ヶ月続け、週2回を5ヶ月続け、とうとう体も右に捻れるようになりました。
あちこちコってきて、ただ座っていることができなかったのが、30分以上イスに座っていても大丈夫になったのです!

医師からヘルニアと言われ、様々なところに施術に行き、18歳のとき痛めた腰が、とうとう23歳で治りました。

その先生も嬉しかったのだと思いますが、完治したあと、飲みに連れて行ってくれました。

その後も月一度の体のメンテナンスで通いました。

(ああ、俺もこの仕事がしたいな)

いつしかそんなふうに思うようになったのです。

施術の仕事をしたいができない葛藤のまま、あっというまに29歳になっていました。

当時営業の仕事をしていて、社長から営業部の人は車を運転中聞くようにと東京の大手コンサルタント会社のテープを渡されました。

そのなかで、行徳哲男先生の話に興味があり、先生のセミナーに参加しました。

青木功さんや、松岡修造さん、政治家の人たちが参加しているそうです。

箱根の山に4泊5日、携帯電話、新聞・雑誌などを預けて、ひたすら自分と向き合うというものです。

ここからは話がとてつもなく長くなります。
機会があったら書き足そうと思っています。

やはり私は施術の仕事がしたいという結論になりました。
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▲私が施術家に進む後押しをしていただいた行徳哲男先生と。

29歳になり、私の体を治していただいた、佐々木佳寿先生が修行されていた埼玉県所沢市にある施術院で8年間御世話になり、2008年4月20日に大泉学園に『治療室高久』を開業しました。

施術家になることを決心してから、なにか大きな流れに乗っているような気がします。

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▲第20回トータル臨床研究会では午前の部の講師をさせて頂きました。
一緒に写っているのはトータル臨床研究会・会長の肘井永晃先生です。

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▲自分中心心理学の石原加受子先生と。
自己中心ではなく、自分中心の考えは、『完全独立した個人たれ』という整体創始者の野口晴哉先生の思想と似ているように感じ、勉強させて頂いています。
また、石原先生主催の「心と体のセミナー」では講師もさせて頂きました。
その模様はこちらです。

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▲BRM療法創始者の吉田邦夫先生と。
先生主催のセミナー終了後に事務局の方にツーショットを撮って頂きました。
50歳から施術の勉強を始め、BRM療法を創始され、現在(2014年)、障害児の施術に情熱をかたむけられ、東京・大阪・岡山・九州でセミナーを開催されています。講義を聴きますと、内側から湧き出る気迫を感じます。
吉田先生の施術予約は半年待ちとのこと。
もちろん障害児だけでなく、酷い肩こり腰痛他慢性症状にも効く療法で、私も技として使わせて頂いております。