治療室高久・代表 高久尚登のプロフィール

治療室高久・代表の高久尚登(たかくひさと)

小学四年のときから東洋医学に興味を持ち、ツボの本を買い求める。
高校3年のときにギックリ腰を発症。同時に右首の強いコリに悩まされる。
椅子に10分も座れず、授業中苦しくてしょうがなかった。
体を右にひねることもできなくなり、動作も鈍く、就職先の人たちに迷惑をかける。
だまって座ってるだけでもコリや痛みが腰、左の背中、右首に来るので、
何にも集中できない。
どうしようもない情けなさを感じながら、
病院、マッサージ、鍼灸、整体もどきを渡り歩き、5年間苦しむ。
一生、腰・背中・首がつらいままなんだなと、あきらめる。
小さな子供たちが走り回っているところを見て、
「俺もああいう時代があったな」
と思う。
そこで運良く整体の達人と出会う。
椅子にずっと座れるようになったし、
体も右にひねることができるようになった。
もちろん腰も痛くない。
非常に体が軽くなり、のろまなどと馬鹿にされなくなったし、
動きが遅くてまわりに迷惑をかけなくても良くなった。
この感動体験が転機となって、整体の道に進む。
現在自身の腰痛や首痛で苦しんだ経験から、
どこをどうすれば回復に向かうのかわかるようになる。
現在一人でも多くの方を救うように活動中。
長年の慢性症状から解放された人の数は、
のべ8万6000人以上に渡る。
今現在、もっとも注目される治療家の一人である。

座右の銘
【信じるな、疑うな、確かめろ】【前後裁断】

詳しくプロフィールを書いてみます

症状の原因をあなたと一緒に探しながら、治癒への道のりを全力でサポートさせていただきます。
当整体院のホームページをご覧になり、健康に対する考えに共感をいただいた方に、誠心誠意を持って施術をさせていただきます。
限られた文面ではありますが、今度は正直に自分自身について書いてみたいと思います。

名前・身長・体重 学んだことや影響を受けた本

高久尚登(たかくひさと)
1969年・秋田県湯沢市生まれ
身長180㎝
体重72.5kg

・高久身体バランスシステム(TSBS)考案
・按摩マッサージ指圧師免許第127329号(国家資格)
・トータル臨床研究会会員・第30回講師
・EFTプラクティショナー
・JHA日本施術協会会員
・自律身体療法プラクテショナー課程修了
・日本プロポーション矯正学院プロコース課程修了
・日本整体協会主催内蔵セミナー修了
・日本整体協会主催NSTセミナーアドバンスコース修了
・BRM療法ベーシックコース修了
・筋膜グリッピング修了
・TRKエネルギーセミナー修了
・癒道操体法基礎コース修了

特に健康や生き方に関して大きな影響を受けた本

整体法の基礎 (1977年)
野口 晴哉先生

風邪の効用 (ちくま文庫)
野口 晴哉先生

「半断食」健康法
石原 結實先生

治療室高久 代表高久尚登の経歴

1969年秋田県湯沢市にタバコ屋と農業を営む両親の間に2人姉弟の長男として誕生。
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小学低学年のころ、なぜ駆けっこで速い人と遅い人がいるのか興味がわきました。
運動会のとき足が速いと注目されますからそれが狙いだったんです。

小学4年、東洋医学に興味を持ち、ツボの本を購入

同時に、なぜか按摩や鍼施術、整体など東洋医学にとても興味がありました。

不思議ですが、そのような職業の人が子供心にもかっこ良くみえたのです。
そして、ツボなどを刺激すれば肉体が改造され、走るのが早くなるのではと思い、小学3年のとき、お年玉で街の書店からツボで体の不調を治す本を購入しました。
父が5人兄弟、母は7人兄弟でしたので、すぐに買えました。

その本はまだ手元にあります。

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親にやってあげると喜ばれるのがうれしくて、拍車がかかりました。
ツボは強く押すと痛いところですが、小学生でまだ力がなかったので、思い切り押してもちょうどいい刺激だったようです。

自分にも押していろいろ試しました。結果、走るのは速くなりませんでしたが、体が軽くなったりして面白いのです。

ただ、小学校の高学年のとき、長い間自転車にのっていたりマラソンなどをすると左の足の付け根が苦しくなり、足が上がらなくなるのだけは治らず、不思議な思いがしました。
(今でしたら左の骨盤が開いているので、左足に重心がいつもかかっていて、症状がでているのがわかります。)

中学のときは体育の先生にこのことを話しましたら左足の筋肉に疲れがたまっているからだといわれ、さらにマッサージの本を買ったりストレッチの本を買ったりして自分でやってみました。

さて、運命のときがやってきます。

高校3年生だった当時の私は、身長は180センチで体重は53キロしかありませんでした。
食べても食べても太らず、何か病気なのかと心配したものです。
それにすぐにおなかを下します。

腸が弱いのだと思い、いろいろな健康本を読んでみると、共通しているのが太ももの筋肉を鍛えると内臓が丈夫になるということでした。
確かに太ももに胃腸のツボがたくさんあります。

そこで、プロレスラーがやる足の屈伸運動(ヒンズースクワット)を1日100回するようにしました。だんだん回数も伸びて、300回くらいできるようになりました。
それでもおなかが下るのは治りません。

より鍛えるために、お年玉とアルバイトで貯めたお金で、バーベルのセットを買いました。当時ガリガリでしたので、ガッチリした体になりたいという願望もありました。

高校3年の終わりに、ギックリ腰を発症

正しい指導者もいなく、本を読んで行ったのですが、鈍い腰痛がおこるようになったのです。
それでもそれを乗り越えれば丈夫になると考え、無理に続けたところ、とうとうギックリ腰になってしまったのです。

朝痛くて動けないし、授業中イスに座っているだけでも左の腰とその近くの背中が痛みます。
さらに下を向いていると、首の右側に先が丸く尖った石を強く当てられているようにコリがでてかゆいような変な痛みが走ります。

整形外科に行くと、椎間板ヘルニアという診断をされました。
もう座っているだけで痛いのです。黙って座れませんでした。

2週間毎日通ったのですが、ちっとも良くなりません。

本を読んでツボ等を押しても効きません。

(これからどうなるんだろう。こういうのがずっと続くのだろうか…)

ものすごい不安に襲われました。

不安というより恐怖です。

動きも鈍くて、体を右にひねることはできませんでした。

しかし不思議なことに痛いながらも重い物は持てるのです。

整形外科、マッサージ、鍼灸、気功…あらゆる所に通う

こんな地獄のような日々から解放されようと、マッサージ、鍼灸など様々なところへ通いました。
ちっとも良くなりません。

ギックリ腰から始まって、背中、首とこってきて、不快な痛みが襲ってきます。
体を右にひねれなくなってました。

地獄のような日々

高校を卒業して、地元のスーパーに店員として就職しましたが、まるで仕事になりませんでした。
ケースに品物をいれるときに中腰になりますが、左の腰から背筋、左肩までバーンとはってきて、痛くて苦しくなります。そしてしばらく動けなくなります。だまって耐えていると、「なにやってんだ!」と開店前の準備の時、怒鳴られていました。物を投げられたりしました。
情けなかったです。
ゼンマイの切れたおもちゃのように動きが鈍いし、なにか指導されてもしょっちゅうコリや痛みに意識が向かっていたせいか、頭に入らなくて忘れました。
毎日毎日怒られてばかりでした。

自転車に乗ると、顔を右に向くと痛みが走るので、体ごと右にひねるのですが、右の肩甲骨が固まって、ひねりづらいので、自転車の運転が苦痛でした。

家に帰ると、疲れ切って、横になって風呂にも入らずに寝ていました。
何時間でも寝ることができました。

寝るのはいいのですが、朝は朝で痛くて起きられません。背中、腰全体が、こり固まって10分以上かけて起きて、しばらく黙っていました。すぐに動けなかったのです。

山形県にいい先生がいるということで、週1回で1ヶ月通いましたが、これもよくなりません。

(一生このまま?)

不安というより恐怖感でいっぱいでした。
ずっと死ぬまで耐えなければならない。

当時はインターネットなどありませんでしたので、街の本屋さんで、健康雑誌を買い求め、意を決して、東京の整体院へ行きました。

整体の効果に驚く

これがその場で良くなったのには驚きました。

(整体ってすごいな)

と感激しました。

相当酷いので、毎週通ってください、と言われましたが、毎週秋田〜東京間は経済的に行けませんので、断念しました。

2日ほど良い状態が続きましたが、また元に戻ってしまいました。

が、ここまで体がスッキリしたことがなかったので、整体を学びたいと強く思いました。

整体を学ぶことを決意

小学生のころから独学でやって今だに飽きずに続いているので、これは自分に合う職業なのではと感じたのです。

そこで、姉の東京の友人で、有名な整体師と仲の良い人がいて、話をしてみると、

『整体は無資格者でもやれるが、将来のことを考えて国家資格を取っておいた方がいい。指圧か鍼灸か柔道整復のいずれかの免許をとった方がいい。ただ免許とるだけでは人は治せないから、どこか有名な先生に弟子入りか働いて多くのクライアントさんをみるのが一番いい』

と言われました。

この先生には今でも感謝しています。
※上京した際、お礼を申し上げる予定でしたが、姉の友人に聞いても音信不通になったのは残念です。横山みどり先生、もしこの文章を読まれたら、ご一報いただければと思います。

さて、両親に施術の仕事をしたいので、今の仕事を辞めるというと、反対したので、こっそり辞表を提出しました。

学費捻出のため、季節労働者へ

国家資格をとるため専門学校に行かなくてはならず、学費捻出のため、期間従業員として東京の日野市にある、日野自動車で働きました。20歳のときです。

当時はバブル景気の末期でしたが、夏には去年の実績を越えたという時代です。
給料の額も田舎で働いていた3倍もあり、今まで手にしたことがない額でした。

それを5万円だけ自分の生活費にして、他はすべて貯金しました。

いったんあきらめる

そして、3年間の学費が貯まったところで、もう一度両親に経済的なことは大丈夫だから、東京にいくというと、泣かれました。

私の田舎は過疎化が進んでいます。
子ども達が県外に就職して、家には老夫婦だけ、という家庭が多いです。
そしてどちらかが亡くなり、一人になった人は養老院に入居するか一人暮らしをする、やがて亡くなるとその家は消滅する、そのような家が多いのです。

姉も県外就職していましたので、そのことを両親は心配したのでしょう。
散々考えて、田舎に残ることにしました。

ところが、どの仕事をしても面白くありません。

職業を転々としました。

やはり整体が好きなんだ

相変わらず健康雑誌やヨガの本を読んで他人にやったり、自分にやったりしていました。

(やはり整体の仕事が好きなんだ)

しかし相変わらず腰は痛いまま。

そして慢性化していました。

相変わらず体を右にひねることはできませんし、座っていると左の腰と背中、右の首筋に強烈なコリを感じます。

(ああ、一生このままつきあっていくしかないな)

と半分あきらめの気分で過ごしていました。

外で元気に走り回ってる子供を見ると、

(ああ、俺もああいうときあったな・・・)

と思ったりしてました。

整体の達人と出会う

そこへ、近くで整体院を開業した人がいました。

私の父方の親戚の人の娘さんの旦那さんが開業したようです。
ダメもとで行ってみました。

佐々木佳寿という先生です。

施術時間は15分くらいです。

今日はこれでいいと言われました。

(え、これで終わり?)

体がほんのちょっとだけ変わったことがわかりました。

これまで1時間マッサージされて、全然体が変わらなかったことが何度もあるので、まだマシかと思いました。

明日また来てくださいと言われ、素直に従いました。

2回目、「よし、ここまで回復していれば大丈夫だ」と言われ、嬉しかったのを覚えています。
2回目もそんなに変わった気がしませんでした。

3回目はあさって来てください、と言われ、3回目の施術のときは、ようやく私にもわかりました。体が軽いのです。腰が楽です。

(…これは治りそうだ)

と直感しました。

腰痛、首のこりがなくなる

週に3回通うのを1ヶ月続け、週2回〜3回を5ヶ月続け、とうとう体も右に捻れるようになりました。

朝起きるのに10分以上かかっていたのが、すぐに起きれるようになりました。

体が軽いって素晴らしい!

左の腰はもちろん、右の首、左の背中、あちこちコってきて、ただ座っていることができなかったのが、30分以上イスに座っていても大丈夫になったのです!

それと、手先が器用になったのです。これは意外な副産物でした。
脳からの神経の通りがよくなったということです。

さらにだまって下を向いていると、先が丸く尖った大きな石がのっているようだった右の首のコリも同時になくなっていたのに気がつきました。
座って本も読めます。

普通の生活ができるということは、なんて感謝するべきことだろうと思いました。

就職先では怒られなくなっていました。
頭にすぐ入ります。
全体を俯瞰して観ることができる余裕が生まれました。

医師からヘルニアと言われ、様々なところに施術に行き、18歳のとき痛めた腰が、とうとう23歳で治りました。

その先生も嬉しかったのだと思いますが、完治したあと、飲みに連れて行ってくれました。

その後も月一度の体のメンテナンスで通いました。

やはりこの仕事がしたい

(ああ、俺もこの仕事がしたいな)

いつしかそんなふうに思うようになったのです。

施術の仕事をしたいができない葛藤のまま、あっというまに29歳になっていました。

当時営業の仕事をしていて、社長から営業部の人は車を運転中聞くようにと東京の大手コンサルタント会社のテープを渡されました。

行徳哲男先生のセミナーに参加

そのなかで、行徳哲男先生の話に興味があり、先生のセミナーに参加しました。

青木功さんや、松岡修造さん、政治家の人たちが参加しているそうです。

箱根の山に4泊5日、携帯電話、新聞・雑誌などを預けて、ひたすら自分と向き合うというものです。

ここからは話がとてつもなく長くなります。
機会があったら書き足そうと思っています。

やはり私は施術の仕事がしたいという結論になりました。
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▲私が施術家に進む後押しをしていただいた行徳哲男先生と。

佐々木先生が修行されていた接骨院で働く

私の体を治してくれた佐々木先生へメンテナンスに訪れた時、

「俺の先生が本出したんだ。一冊どうぞ」

タイミングよく本をいただき、その著者の住所へ、すぐに連絡を入れました。

院長の話によると、2人雇う予定とのこと。

50人ほど面接に来ているとのこと。

あまりにタイミングの良いことが続き、なにか運命を感じました。

29歳になり、私の体を治していただいた、佐々木佳寿先生が修行されていた埼玉県所沢市にある施術院で8年間御世話になりました。

下の写真は骨盤矯正の練習をしているところです。
働いた当時の私は、技をかけるときに肩に力がはいっているといわれていました。
みかねた先輩が自分で見るようにとポラロイドカメラで撮影していただいたものです。

そして、現在へ

2008年4月20日に大泉学園に『治療室高久』を開業しました。

施術家になることを決心してから、なにか大きな流れに乗っているような気がします。

心に残るクライアントさんは書ききれないほどいらっしゃいますが、しいて上げると、

◎病院で頚椎ヘルニアと診断され、左右振り向くのもできなくなり自転車通勤が辛くなり、うがいもできなくなった。湿布と痛み止めではよくならないままひどくなっていった24歳OL。
治療室高久に来て改善。
同時にスタイルも良くなり、体重は変わっていないのに、周りから『痩せた?』と言われる。
結婚式のウエディングドレスがとても似合っていると周りから褒められる。

◎32歳女性看護師。
ヘルニアで手術が必要と言われた。
手術をしたくないので、民間の整体を調べたて受けにいったが効果が出ず。
犬を散歩していた人から、治療室高久を紹介された。
触れた瞬間、猛烈な生きる意欲というか波動を感じる。
これは治りますと言った。
結果、手術をしなくても良くなり、現在も元気に仕事とプライベートを楽しんでいる。

◎63歳女性。
激しい腰痛でベッドから起き上がれなくなった。
膝も痛くなり、階段昇降ができなくなった。
年齢によるものと言われる。
病院に通って一向に良くならず、マッサージ、鍼灸、カイロプラクティックと受けにいくが回復せず。
治療室高久を紹介してもらう。
幸い膝は変形しておらず、バランスを整える整体施術で回復へ向かい、階段昇降は大丈夫になった。
腰痛ももちろん回復。

◎多忙な生活を送る大学教授。腰痛になった自宅から駅までの距離を歩けなくなった。しゃがむなど2~3回の休息を必要とする状況だった。
長時間立つことも苦痛で椅子に座っての授業を行っていた。
普通に生活できるようになった。
大学教授から治療室高久の良い点を挙げてもらいました。

①1回30分間程度の施術であり効果的である
②短期間で集中(週2回)した施術が行われる
③完全予約制であ自分の生活スタイルを変える必要がない

との評価をいただきました。

◎20代でギックリ腰を発症し、慢性腰痛で悩まされていた30代看護師さん。
家から1時間かけて通院され、見事回復されました。

日々、腕を磨いています

Trk20▲第20回トータル臨床研究会では午前の部の講師をさせて頂きました。
一緒に写っているのはトータル臨床研究会・会長の肘井博行先生です。

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▲自分中心心理学の石原加受子先生と。
自己中心ではなく、自分中心の考えは、『完全独立した個人たれ』という
整体創始者の野口晴哉先生の思想と似ているように感じ、勉強させて頂いています。
また、石原先生主催の「心と体のセミナー」では講師もさせて頂きました。
その模様はこちらです。

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▲BRM療法創始者の吉田邦夫先生と。
先生主催のセミナー終了後に事務局の方にツーショットを撮って頂きました。
50歳から施術の勉強を始め、BRM療法を創始され、
現在(2014年)、障害児の施術に情熱をかたむけられ、
東京・大阪・岡山・九州でセミナーを開催されています。
講義を聴きますと、内側から湧き出る気迫を感じます。
吉田先生の施術予約は半年待ちとのこと。